石田先生が亡くなったそうで、僕は、大ボスの秘書さんから教えてもらいました。

最初に、先生の名前を見たのは、bitだったはず。前後するけれど、石田先生監修のbit別冊(書名忘れた)に、とある事情で名前を載せて頂いたのが僕の印刷物初露出でした(中3ときか高校1年の頃)。

僕の、高校時代のいちばんの愛読書は bit であり、石田先生の連載見て、Unixを早く使いたいと思ってた。高校生のくせにbit読んでた奴なんて当時皆無だったと思う。。。(中学の時、すでに立ち読みしていたかもしれない。。買い出したのは高校入ってから)

Unixとネットワークに興味を持ちだしたのも、まちがい無くその流れ。高校2年の秋頃に、電子科で計算機のリプレースをするというので、「先生これからはUnixですよ。PDPかVAX買わないと」と生意気を言っていたが、電子科の先生の方がチンプンカンプンだった(工業高校行ってて、僕は建築科だったのです。あれ?)。残念ながら、導入されたのは、バカみたいにクラシックなHITAC-10の最新鋭機;D 面白かったけど。

むろん、僕とCの出会いは、bitの石田先生の記事だった。高校1年の冬ぐらいには、アセンブラ扱えるようになっていて、高校2年ぐらいのころに、「6800と6502両方で動かせるコードってかけないのかなぁ?」とか思っていて、友達と変な言語(Forthっぽかった)考えてたりしてたけど、そこに現れたのがCだった。

高三の春に、現某工大の教授に無理いって某研究所(笑)に遊びに行ったとき、そこでは、WhitesmithのCを使っていて羨ましかった(Whitesmith Cは、当時売られていた唯一のフルセットのC)。Whitesmith Cには、K&Rが付いていたですね。日本語版が出るのは、ずいぶん後。そのため、K&Rは洋書をまず買ったはず。そんなわけで、日本語版は初版をもってたハズなんだけど、どっかにいっちゃった。ぼろぼろになるまで使った。

そんな流れで、大学受験の時は、計算機やりたくて、浪人してでも、マトモにUnix使える大学(笑)に行きたかった。残念ながら、さまざまな事情で無理だった。万が一、慶應か、東大か東工大に行けてたら、タイミング的には非常に面白かったハズ。幸い、そのときに居た人たちのかなりの部分と、今は色々やらせていただいているのも不思議(というか強運)だけど、人生とはこんなものだ。

そんなわけで、よくよく考えてみると、僕は、石田先生のお仕事に、非常に大きな影響を受けて育ったわけです。少なくとも、あの時点でUnixを知らなかったら、もっとちがう事をしていたかもしれないし、もっとちがうセンスのエンジニアになっていたかもしれない。

後に、インターネットに関わるようになり、そのさらに後に、様々な機会でお会いすることがありました。多少、「先生の影響で俺は出来てます」、みたいな話をさせて頂いたことはあったかと思いますが、おれ、ちゃんと伝えられていなかったと思う。伝えられていなかったのが、つくづく残念。。

そんなわけで、じわじわ、寂しい気持ちが募ってきているのですが、まずは、ご冥福をお祈りしたいと思います。

今月は出張が立て込んでいるので、葬儀がタイミングによっては参加できないので、こんな事書いてるのに、おまえきてない、とか思わないでください。。(悲しい)

一月ぶりに書いたエントリがこれってのが、悲しすぎる。忙しくてももうちょっと書こうと思いました。。


Archived comments:

alpha2 10 Mar 2009

私もbitには多大な影響受けたけど、大学入ってからだなぁ。UNIXやCへの興味までは同様で、電気の学生なのに1年のときからUNIXの使える数学科や化学科に常駐して遊んでました。結局、卒業するころには興味がハードウェアに向いていて、計算機メーカーでCPUを設計する方に進んで、さらに下ってASICや半導体の方まで降りて、現在にいたっておるわけです。

Pukuma 10 Mar 2009

石田先生亡くなったんですね。
残念です。
日刊工業新聞主催のパーティーで何度かお会いして、Cの次世代言語は?なんて話をした覚えがあります。

Pukuma 10 Mar 2009

石田先生亡くなったんですね。
残念です。
日刊工業新聞主催のパーティーで何度かお会いして、Cの次世代言語は?なんて話をした覚えがあります。

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